思い出がよみがえる
元々は商社で普通に働いていた
都心に住んでおり、これからも頑張ろうと進んでいた矢先
その時に手術を受けて全てが終わった
男が働けなくなると直ぐに家庭は崩壊する
子供たちとも別れ東北の実家に帰ってしまった
何だか子供達の写真を見ていると切なくなる
明日は故郷帰りに会えたら会いたい
人生は本当に何が起こるかわからないものだ
つい最近まで働いて家があり家族があり日常があった
しかし、今は何もない
週末帰郷
故郷に一旦帰ろうと思う
まだまだ東北は復興途中だが
被災で亡くなられた多くの方を思えば生きているだけまだましだ
今日は吐き気が酷くて仕方がない
遠視の症状は目だけではなく体まで不調になる
コメントをくれた方々ありがとう
またいつか返信させていただく
一寸先は闇
最近はお金が底をついたため、生活が送れずに困り果てる毎日だった
昔と違って西友の特売や半額を待って食料品を買うしかない日常になってしまった
生きるには食べるものが必要であるが、それすら危うくなりつつある
消費税が8%になれば働けない人間は生きることすらできなくなる可能性が高く先を考えると一寸先は闇だ
まだ、日本という安全な国に生まれて
ましかもしれないが些か働けない体にされた人間にはきつすぎる人生であることは間違いない
せめて普通に働ける目であれば直ぐに仕事に就いて第二の人生を始めるのだが
いずれにしても職安で仕事の相談をしたのだが
その担当の人に目の状態が酷くて生活ができないため死にそうなことを相談した
現実的に目を使わないでできる仕事はない
しかし、取り合えずアルバイトでも働かないといけないと行動しているが
目からくる目眩と頭痛でぶっ倒れそうになる
役所にも相談した
現在食べるものもお金も仕事もなく、生活に困窮していることとを話した
身内に援助してくれる人はいないのかと尋ねられたがこの歳になって年金の親と別の生活をする兄弟には頼むことはできないと告げた
それならということで生活保護を受けることを進めてくれた
しかし、車を所有していたため取り合えず売却してからでないと手続きできないことがわかりすぐに売りに行くことに決めた
もう一ヶ月程は僅かだが車の売却費で生活できるのかと思う
ただ、いずれ仕事の通勤に必要な手段であっただけに手放すのは致命的である
いつでも生活保護の申請に来て良いと言ってもらえ役所の人には人として扱って頂き感謝したい
帰り際、激しい目の痛みで公園のベンチで4時間も横になっていた
すると、老夫婦と子供が大丈夫かと声をかけてくれ、お茶とパンを私に置いて行ってくれた
現役世代が社会を支えていかなければならないのに何とも申し訳ない気持ちである
だが、人生を諦めてはいない
いずれ必ず社会に復帰してやる
生活困窮、生き残りをかけた戦い
預貯金が底をついてきた
非常に切羽詰まった状態だ
家賃を払えば恐らく10月には貯金が底をついて食うものも食えない状況になるだろう
相変わらず目は絶不調としかいいようがない
外に出て数時間もすると圧迫感か目眩と頭痛が激しくなる
レーシックで目がやられると脳もやられて歩行感覚すら危うくなる
今は執刀医はどこで何をしているのか、体が戻れば見つけだして裁判だろうが何だろうが徹底的に生涯追い詰めるのだが
仕事ができないと惨めなものだ
お金がないと何とも心が狭くなる
それもこれもレーシックが原因で働けないことが一番の理由だろう
仕事をしていた頃が何とも幸せだったのだろうか
だが、このままでは終われない必ず生き抜いてやる