過矯正の辛さと戦い
目は1.5はきれいに見える
しかし、見えるだけ見えても、目の疲れや頭を締め付けられるような痛みは純情ではなく過酷そのものである
レーシック前は普通に日常生活をして、仕事をしていた
レーシック後は、仕事は愚か、日常生活すらまともに生きていくのが辛い
毎日自殺の文字が頭を過る
もうレーシックを受けてから3年以上の月日が経過した
最初の一年は、目の疲労と痛みに耐えて働いたが、退職を余儀なくされてしまった
家庭は崩壊して、一家離散で、残ったのは借金だけだ
今は3畳ひとまのアパートで、一人暮らしになってしまった
何とか貯金を切り崩して、なけなしの生活をしている
もう二度と社会復帰は出来ないだろう
かといって、現実を考えれば、お金が無ければ食べることさえ出来ない
だが、レーシックの後遺症で働けない
死ぬしか道はないのか?
一体何のために生まれて生きていくのかわからない
レーシックの30万の手術で、全てが終わってしまった
目の激痛と過矯正に耐えて、毎週の様に病院に通う日々
一体、この国の医療は、どうなっているのか
一部の犠牲者が社会から取り残されて、後遺症と日常生活の崩壊
月日は流れていくばかり
この様な目にしたクリニック、さじを投げた医師には、きっちり償って頂く
人を最も突き動かす原動力は憎しみや恨みなのかもしれない
レーシックを失敗された人は、必ず一生、医師のことを忘れはしない